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設楽原歴史資料館

(したらがはら れきし しりょうかん)

歴史と郷土文化を伝える新城市の学び舎

設楽原歴史資料館は、愛知県新城市竹広字信玄原に位置する歴史資料館です。この施設は、「長篠・設楽原の戦い」に関する貴重な資料をはじめ、地元新城の考古・歴史・民俗などに関する多様な資料の保存・展示を通して、地域文化の継承と生涯学習の促進を目的に開設されました。1996年(平成8年)4月に開館して以来、多くの来館者に歴史を伝える場となっています。

展示内容の魅力

長篠・設楽原の戦いの実像に迫る

この館の最大の特色は、長篠・設楽原の戦い(1575年)を詳しく解説する展示です。文献や絵図、遺物などを用いて、戦国時代の軍事戦略や武将たちの思惑、戦場の様子が克明に紹介されています。

日本一の火縄銃コレクション

また、当館では日本一の規模と質を誇る火縄銃・古式銃のコレクションが展示されています。戦国時代における鉄砲の登場が戦術を大きく変えたことは歴史的にも重要であり、ここではその技術や運用の変遷について学ぶことができます。

岩瀬忠震 ― 日本の開国を導いた外交官

新城市出身の幕末の外交官岩瀬忠震(いわせ ただなり)に関する展示も注目すべき点です。彼は幕末の鎖国日本を開国に導いた功績を持ち、当館は日本で唯一、彼に焦点を当てた常設展示を行っています。

地域の慰霊文化「火おんどり」

設楽原の戦いの後、地元の人々が戦没者を悼むために始めた追悼行事「火おんどり」も展示の一部です。この地域特有の民俗行事は、戦の記憶を今に伝える貴重な文化として紹介されています。

挿絵の芸術作品も所蔵

さらに、産経新聞夕刊フジ連載小説『幕末外交官―岩瀬忠震と「開国の志士」たち』(岳真也著)のために描かれた日本画家・岩波昭彦による挿絵33点(2011年、2012年作)も収蔵されています。歴史資料だけでなく、美術的な価値も感じられる展示が魅力です。

利用案内

開館時間と休館日

開館時間:9:00 ~ 17:00(最終入館は16:30まで)
休館日:毎週火曜日(祝日の場合は翌平日が休館)、年末年始(12月29日~1月3日)
※ 夏休み期間中は火曜日も開館しています。

入館料

一般:330円、
小中学生:100円
※ 障がい者手帳・療育手帳をお持ちの方とその介護者は入館料無料です。

交通アクセス

JR飯田線三河東郷駅から徒歩約15分。
新東名高速道路新城ICから約2km。

長篠・設楽原の戦い ― 信長・家康と武田勝頼の壮絶な戦い

歴史的背景と開戦の経緯

この戦いは天正3年(1575年)5月21日、現在の新城市長篠にて、織田信長・徳川家康連合軍38,000人と、武田勝頼率いる15,000人が激突した合戦です。戦場は長篠城とその周辺の設楽原、有海原におよびました。

戦いの背景には、武田氏の遠江・三河方面への侵攻と、それに対抗する信長・家康の連携があります。特に、信長は浅井・朝倉を滅ぼし、将軍足利義昭を追放して天下の覇権を目指していた時期であり、武田勝頼との全面対決は避けられないものでした。

長篠城の攻防と鳥居強右衛門の決死行動

戦いの前哨戦ともいえるのが、長篠城攻防です。わずか500人で城を守る徳川方は、兵糧不足に苦しみながらも、200挺の鉄砲と自然の地形を活かして武田軍の猛攻をしのいでいました。

この窮地の中、奥平貞昌の家臣鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)が密使として岡崎城に赴き、援軍を要請。彼は帰路で捕らえられながらも、「援軍は来る、持ちこたえよ」と叫び、磔にされて殉職しました。その勇気が城兵の士気を高め、信長軍の到着まで持ちこたえる原動力となったのです。

信長の戦術と勝敗の行方

信長と家康の連合軍は設楽原に布陣し、小川や沢を利用した馬防柵と土塁による防衛陣地を築きました。そして、鉄砲隊を三列に構え、交互に発砲する三段撃ちという新戦術を導入。武田軍の騎馬隊に対して圧倒的な火力を誇示し、大勝を収めました。

歴史を身近に感じられる場所へ

設楽原歴史資料館は、戦国時代の一大転換点である長篠・設楽原の戦いを詳しく学べるだけでなく、火縄銃や地域に根差した文化、そして幕末の偉人・岩瀬忠震など多様な歴史に触れられる貴重な場所です。地元の歴史と文化を深く知りたい方、戦国史に興味のある方には、ぜひ訪れていただきたい施設です。

展示の充実度に加え、アクセスの良さや利用しやすい料金設定も魅力の一つ。家族連れから歴史愛好家まで、多くの方におすすめできる学びと発見の場となっています。

ぜひ一度、歴史の息吹を感じに設楽原歴史資料館へ足をお運びください。

Information

名称
設楽原歴史資料館
(したらがはら れきし しりょうかん)

豊橋・渥美半島

愛知県