望月家住宅は、愛知県新城市に現存する歴史的な民家であり、日本の重要文化財に指定されています。この住宅は、戦国時代に武田家の家臣であった望月氏が、長篠の戦いに敗れてこの地に土着したのち、子孫によって建てられたと伝えられています。
一説によると元禄2年(1689年)の建立ともされますが、棟札や文書などの確証は確認されておらず、実際の建設年代は18世紀後半と考えられています。
望月家住宅は、分棟型民家という建築形式を持ち、この地方では「釜屋建て」と呼ばれています。これは、居住空間(主屋)と、炊事や作業を行う土間空間(釜屋)を別棟にした形式です。釜屋建ては、静岡県西部から愛知県東部(豊川沿岸)にかけて分布する伝統的な様式であり、望月家住宅は現存する中でも最も古い建物の一つとされています。
主屋と釜屋の配置は非常に特徴的で、T字型に接続されるように建てられています。この形状は、「しゅもく造り」とも呼ばれ、打出の小槌に似ていることから、福を招く縁起の良い形ともされています。
主屋は平入りの寄棟造り、釜屋は妻入りの寄棟造りで、それぞれ約1間(1.8m)離して並び、屋根の接続部分には丸太をくりぬいた樋が設けられ、雨水を効率よく排出する工夫がなされています。
主屋の内部は田の字型四間取りで、「おおえ」「おかって」「おでい」「おへや」などの生活空間が配置されています。間仕切りには板戸や紙障子が使われており、行事や養蚕の際には大きな一室としても利用できるようになっていました。
釜屋は土間造りで、炊事場、作業場、馬屋、風呂場など、生活に必要な機能を担う場として活用されていました。また、釜屋の上部は、萱や薪の貯蔵所としても使われていました。
望月家住宅には、ちょうな仕上げの部材や、1間ごとに柱を立てる工法など、古式の建築技法が随所に見られます。また、骨組みは隅叉首のみで棟木を支える形式をとっており、棟束を用いないのも大きな特徴です。
釜屋部分については、主屋よりやや後の時代に建てられたと考えられていますが、全体としての構成は非常に均整がとれており、江戸時代の民家の典型とも言える貴重な例となっています。
主屋の棟は、釜屋の棟よりも必ず高く造られており、これもまた体裁面と縁起を重視した工夫といわれています。さらに、棟幅が狭く、棟木(くらぼね)の本数は3本から5本の構成が多く見られます。
望月家住宅は、その希少な建築形式と歴史的価値から、1974年に国の重要文化財に指定されました。この建物は、江戸時代から明治初期にかけての東海地方の農家住宅の形を今に伝える、非常に貴重な遺構であり、地域の建築文化を後世に伝える役割を果たしています。
望月家住宅へは、JR飯田線新城駅から豊鉄バス「黒田」行きに乗車し、「黒田」バス停で下車。そこから徒歩で約30分の距離に位置しています。
東名高速道路「豊川インターチェンジ」から、国道151号線および県道6号線を経由してアクセスすることが可能です。
望月家住宅は、江戸時代の農村文化や建築技術を今に伝える、貴重な文化遺産です。「釜屋建て」と呼ばれる分棟型民家の様式は、地域の風土や生活様式に根ざした独特の工夫が随所に見られ、単なる建築物という枠を超えた文化・歴史・民俗の記録としての価値を持っています。訪れることで、古き日本の暮らしや知恵に直接触れることができる、貴重な観光資源となっています。