鳳来寺は、愛知県新城市の鳳来寺山に位置する、真言宗五智教団に属する歴史ある寺院です。標高695メートルの鳳来寺山の山頂近くに位置し、長い歴史と深い信仰を今に伝えています。本尊は、寺の開山である利修仙人が彫刻したとされる薬師如来です。
この寺院は古来より「霊山」として崇められてきた場所であり、山全体が神聖な空気に包まれています。参道には1,425段の石段が続き、これを登ることで参拝者の心も自然と清められるとされています。
鳳来寺の起源は、大宝2年(702年)、仙人と称された利修によって開かれたと伝えられています。利修は霊木である杉から、本尊の薬師如来のほか、日光・月光菩薩、十二神将、四天王を彫り上げました。また、文武天皇の病気平癒の祈願を命じられた際、鳳凰に乗って都に参上したという伝説が残されており、「鳳来寺」「鳳来寺山」という名もこの逸話に由来しています。
鎌倉時代には、源頼朝によって再興されたとも伝えられています。彼が平治の乱の後にこの寺の僧坊のひとつ「医王院」に身を寄せたとされ、その縁から石段の寄進がなされたといわれています。また、鳳来寺弥陀堂は、三河守護・安達盛長が建立した「三河七御堂」の一つとして『三河刪補松』にも記録されています。
境内の鏡岩下遺跡からは多くの土器が発見されており、これにより12世紀末から13世紀初頭にかけて経塚が造られ、室町時代からは納鏡が盛んに行われていたことが明らかになりました。これらの資料は、鳳来寺が貴族層の聖地から庶民の信仰を集める霊場へと変容していった過程を示す貴重な手がかりとなっています。
戦国時代には近隣の豪族・菅沼氏から寺領の寄進を受けましたが、豊臣秀吉の時代には300石に縮小され、寺の運営は厳しさを増しました。
江戸幕府の庇護のもと、鳳来寺は再び隆盛を極めました。徳川家光が祖父・徳川家康の出生伝説に由来して鳳来寺に注目し、堂宇の再建や東照宮の建立が進められました。慶安4年(1651年)には東照宮が完成し、最盛期には1,350石もの寺領を有していたといわれます。
延宝年間には、天台宗と真言宗の双方に属する多くの僧坊が存在しており、以下のような名前が伝わっています。
明治時代の神仏分離令により、東照宮と鳳来寺は別々の存在となりました。この変革は鳳来寺にとって大打撃となり、経済的にも大いに困窮しました。明治38年(1905年)には京都・法輪寺から派遣された服部賢成住職が寺の再建に乗り出し、真言宗に統一。高野山の所属とすることで再建の道を歩み始めました。
賢成住職は資金を寺の復興だけに使うのではなく、地域に貢献することを選びました。鳳来寺鉄道や田口鉄道の建設費、さらには鳳来寺女子学園の設立資金に充てられたのです。
大正3年(1914年)に本堂が焼失したものの、昭和49年(1974年)に再建。現存する僧坊は松高院と医王院の2か所のみですが、その歴史の重みは今もなお訪れる人々の心に深く残ります。
鳳来寺には以下の国指定重要文化財があります。
鳳来寺が位置する鳳来寺山は、昭和6年(1931年)に国指定名勝に選定されています。山全体が自然と歴史、信仰が交錯する荘厳な空間となっており、多くの登山客や観光客を魅了しています。
新城市からも以下の文化財が指定されています。
住所:愛知県新城市門谷字鳳来寺1
公共交通機関:
・JR飯田線「湯谷温泉駅」から自動車で約20分
・豊鉄バス「鳳来寺」または「鳳来寺山頂」下車(後者は11月の土日祝限定運行)
かつては豊橋鉄道田口線に「鳳来寺駅」が存在しましたが、昭和43年(1968年)に廃線となっています。
鳳来寺は、霊山・鳳来寺山の自然美とともに、日本仏教の長い歴史と民間信仰の変遷を感じさせてくれる貴重な寺院です。歴史や文化に興味のある方はもちろん、静かな心の癒やしを求めて訪れる方にもおすすめの観光地といえるでしょう。