医王寺は、愛知県新城市にある曹洞宗の寺院で、山号を長篠山(ちょうじょうざん)と称します。本尊には人々の病を癒すとされる薬師如来を安置しており、地域の信仰を集める由緒ある寺院です。
また、医王寺は歴史的にも重要な役割を果たしてきた場所であり、特に天正3年(1575年)の長篠・設楽原の戦いでは、武田勝頼がこの寺の背後にある医王寺山に本陣を置いたことで知られています。現在では、境内にその歴史を今に伝える「武田勝頼公本陣跡」の石碑が残されています。
『医王寺誌』によれば、室町時代の僧・琴室契音(きんしつ かいおん)によって、医王寺は大洞山泉龍院の末寺として創建されました。明応7年(1498年)、琴室は諸国を巡る修行の旅の末に、現在の設楽郡篠窪にあった小庵を発見し、そこに居を構えました。地元住民の支援に加え、当時の有力な武家であった菅沼氏からの庇護も受けたことで、寺は次第に発展していきました。
やがて、永正11年(1514年)には小庵は立派な伽藍を備える寺院となり、薬師如来を本尊とすることから、寺号を長篠山医王寺と定めました。この「医王」の名は、本尊である薬師如来の別名「大医王仏」に由来します。
しかしながら、琴室契音は自身を開山とすることを避け、師匠である克補契嶷(こくほ かいぎょく)和尚を開山として請い、自らは第二世住持となりました。この謙虚な姿勢は、曹洞宗の精神と合致しており、今日に至るまで高く評価されています。
医王寺は、創建当初より長篠城主・菅沼元成をはじめとする菅沼一門</strongからの厚い支援を受けてきました。野田城初代城主・菅沼定則からは梵鐘が、田峯城主・菅沼定継からも多くの寄進がなされました。
また、今川氏真からは茶湯料5貫文、奥平貞昌からは水田1町歩の寄進を受けるなど、多方面からの庇護を受けて寺は隆盛しました。これらの支援は、医王寺が信仰だけでなく地域の文化拠点としても機能していたことを示しています。
天正3年(1575年)、4世住持・月傳太随(げつでん たいずい)和尚の時代に、有名な長篠・設楽原の戦いが勃発します。この戦いでは、武田勝頼が医王寺山に本陣を構え、山県昌景や馬場信春らと軍議を開いたと伝わります。
戦前夜、武田勝頼の夢枕に老人の姿をした葦の精が現れ、戦を避けるように諫めたといいます。しかし勝頼はこれを無礼とし、太刀で老人の腕を切り落としました。翌朝、弥陀が池の葦を見ると、すべての葉が片葉</strongになっていたというのです。この伝説に由来し、池には今も「片葉の葦」が生い茂っています。
荘厳な本堂と歴史ある山門は、訪れる人々に静寂と敬虔な雰囲気をもたらします。山門脇には、先述の弥陀が池があり、伝説の「片葉の葦」を間近で見ることができます。
境内の庫裡には、民俗資料を収集した資料館が併設されています。館内には、長篠・設楽原の戦いで実際に使用されたとされる槍の穂先や矢尻、陣茶釜などが保存されており、当時の戦いの様子を感じ取ることができます。
境内には、「武田勝頼公本陣跡」の石碑が建立されており、戦国時代の激しい戦いの舞台であったことを今に伝えています。
医王寺は江戸時代には10か所以上の末寺を有していましたが、その多くは現在では廃寺となっています。それでもなお、いくつかの寺院が現存しており、長篠の戦いや地域の歴史を語り継いでいます。
愛知県新城市
・JR飯田線「長篠城駅」から徒歩で約10分
・新東名高速道路「新城IC」より車で約15分
医王寺は、宗教的・歴史的・文化的価値を兼ね備えた名刹であり、静かで神聖な空間の中に戦国の記憶が息づいています。歴史ファンだけでなく、自然と静寂を求める旅人にも最適な訪問先です。長篠の戦いの舞台となったこの地を、ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。