豊川稲荷は、愛知県豊川市に位置する歴史と信仰の深い仏教寺院です。正式には円福山 妙厳寺(えんぷくざん みょうごんじ)と称され、曹洞宗に属しています。日本全国に知られる稲荷信仰の中心のひとつとして、年間約500万人の参拝者が訪れ、商売繁盛や家庭円満などを祈願する場所として親しまれています。
妙厳寺の通称である「豊川稲荷」という名は、境内に鎮守として祀られている吒枳尼真天(だきにしんてん)が稲穂を担いだ姿をしていることに由来します。一般には神社と誤解されることもありますが、豊川稲荷はれっきとした仏教寺院です。参道に鳥居が立ち並び、稲荷寿司の店が軒を連ねるなど、神社的要素も併せ持つ独特の雰囲気を持っています。
妙厳寺の寺紋は「丸に抱き沢瀉(おもだか)」であり、豊川稲荷としての寺紋は「抱き稲」が用いられます。また、宝珠の意匠もよく用いられ、装飾や建築にもその文様が見られます。
妙厳寺の本尊は十一面千手観音菩薩であり、かつての法堂に安置されていました。2016年には旧法堂が解体され、新しい法堂が建立された際に、新たな観音像を外側に据え、旧像は胎内仏として納められています。
豊川稲荷の鎮守である吒枳尼天(だきにてん)は、インドの民間信仰に起源を持つ女神で、日本では稲荷信仰と習合しました。妙厳寺では「吒枳尼真天(しんてん)」と尊称され、地元では「尊天さま」と親しみを込めて呼ばれることもあります。狐に乗り、稲束を持ち宝珠を携えた天女のような姿が特徴的です。
1884年建立の入母屋造・唐破風付き四脚門で、厚さ15cmの欅の一枚板からなる扉が特徴です。
1536年に今川義元によって寄進された、歴史ある楼門です。
本尊・十一面千手観音を安置する堂宇で、2024年に新たに建て替えられました。
吒枳尼天を祀る、荘厳な建築様式の堂宇で、約20年をかけて1930年に完成しました。2022年には避雷針が撤去され、より伝統的な景観が保たれています。
瑞祥殿、最祥殿、寺宝館、鐘楼堂、大黒堂、三重塔など、数多くの見どころがあります。特に通天廊は本殿と瑞祥殿を結ぶ長大な回廊で、訪れる人々の足を止めます。
境内の一角には、1,000体以上の狐像が並ぶ霊狐塚があり、その神秘的な雰囲気に魅了されることでしょう。
参道には、参拝者の願いが書かれた1,000本の幟が並び、彩り豊かな風景を作り出しています。
妙厳寺には鎌倉時代作の「木造地蔵菩薩立像(2躯)」があり、国の重要文化財に指定されています。また、狩野派の絵画も多く所蔵され、寺宝館で展示されています。
豊川稲荷は「立川流」の彫刻が多数見られる寺院であり、特に本殿内の宮殿は彩色こそ薄れていますが、その彫刻の精緻さは今なお見る者を魅了します。
豊川稲荷は嘉吉元年(1441年)、曹洞宗法王派の僧・東海義易(とうかい ぎえき)によって創建されました。創建当時は現在地ではなく、豊川河畔にあった円福ヶ丘に伽藍が建てられましたが、江戸時代に現在の地へと移転されました。
東海義易は幼少期より仏門に入り、普済寺(現在の静岡県浜松市)で修行した後、諸国を行脚しました。永享11年には荒廃していた真言宗の寺院「歓喜院」を再興し、曹洞宗へ改宗。そして、その2年後に妙厳寺を開き、禅の道を広めました。
戦国期には今川義元や徳川家康など、名だたる武将たちの庇護を受けて栄えました。海上交通の守護神としては、金毘羅宮が知られますが、家康の領地内にあり参拝がしやすい豊川稲荷を、九鬼嘉隆などの水軍武将たちが信仰したともいわれます。
江戸時代には大岡越前守忠相や渡辺崋山などの文化人にも信仰され、文政11年には江戸に参詣所(現在の東京別院)が設置されるなど、都市部の庶民からも厚く信仰されるようになりました。
神仏分離令(明治4年)が発令された際、妙厳寺も取り調べの対象となりましたが、幸いにも吒枳尼天は寺の鎮守として存続が認められました。しかし、参道の鳥居は一時撤去され、「豊川稲荷」や「豊川大明神」といった名称も使われなくなりました。現在の鳥居は昭和初期に旧東海道にあったものを移設したものです。
明治時代以降、伏見稲荷本願所であった愛染寺が廃寺となったため、吒枳尼天を信仰する寺院への勧請は豊川稲荷が中心となりました。伏見稲荷が全国稲荷神社の総本社であるのに対し、豊川稲荷は仏教的な「稲荷」信仰の中心地といえるでしょう。
妙厳寺開山の折に、平八郎と名乗る老翁姿の狐が現れ、寺男として東海義易に仕えたという伝説があります。義易が入寂した後、狐は一つの釜を残して忽然と姿を消し、その釜は今も本殿奥に大切に保管されています。この伝説が豊川稲荷の神秘性を高め、多くの人々の信仰を集める要因ともなっています。
豊川稲荷の門前町には、名物の稲荷寿司を販売する店舗が立ち並び、参拝者たちの楽しみのひとつになっています。古くから旅人や参拝者を迎えてきたこの町並みは、今も昔の面影を残しながら賑わいを見せています。
豊川稲荷では正月三が日におよそ145万人もの参拝客が訪れるとされ、全国屈指の初詣スポットです。特に1月1日から5日の午前9時から午後5時までは、豊川稲荷周辺および門前通りが完全通行止めとなり、歩行者天国となります。境内は本殿に参拝する人々であふれ、非常に活気ある雰囲気となります。
東京別院とは異なり著名人の参加はありませんが、年男による豆まきが行われ、邪気を祓い福を招く儀式として地域の人々に親しまれています。
春分の日と秋分の日を中日とし、それぞれ三日間にわたって「観音懺法(かんのんせんぼう)」という経典が読誦されます。多くの檀信徒が参列し、祖先供養の場として大切にされています。
毎年3月28日と29日には、開山である東海義易の年忌法要が行われます。東三河をはじめ全国各地から、妙厳寺に縁ある曹洞宗寺院の僧侶が参列し、厳かな法要が営まれます。
4月8日には「花まつり」が開催され、境内に花御堂が設けられ、参詣者は誕生仏に甘茶をかけて祝います。仏教徒にとって特別な日であり、春の訪れを感じられる行事です。
4月25日の早朝、本殿で「大般若講式」が執り行われます。これは東京別院の大般若講員(熱心な信者)による特別な祈祷で、通常の御祈祷に加え、大般若経が読誦されます。
5月と11月の大祭では、稚児行列と御輿の渡御が行われます。稚児たちは化粧を施され、鮮やかな衣装を身にまとい街を練り歩きます。その後方には、約600kgの豪華な御輿が続き、祭りの見どころの一つとなっています。秋季大祭では巨大な大提灯が飾られ、50kgもの和蝋燭に灯がともされる様子は幻想的で幽玄な美しさを放ちます。
7月23日には、仏教学者や大学教授などを招いた「仏教講座」が開催されます。予約不要・無料で誰でも参加可能で、仏教をより深く知る貴重な機会です。
毎月22日は「月例祭」が行われ、妙厳寺開山の日(旧暦11月22日)にちなんだ行事です。
8月7日と8日に行われる盆踊りは、豊川空襲の犠牲者を慰霊する催しです。7日には山門施食会も同時開催され、平和への祈りを込めた大切な行事です。
12月8日の「成道日」に合わせて行われる法要で、釈尊の仏舎利が祀られます。5日間にわたって読誦される経典「歎仏」には、多くの檀信徒が心を寄せます。
豊川稲荷は全国に信仰を広げ、北海道・東京都・神奈川県・大阪府・福岡県に別院を持ち、それぞれの地域で地元の人々に親しまれています。また、豊川高等学校を運営し、地域教育にも貢献しています。
明治時代には、有栖川家をはじめとする皇族も帰依し、「豊川閣」の額を寄進したことから、現在でも「豊川閣」という呼称で呼ばれることがあります。
豊川稲荷では予約不要で御祈祷を受けることができます。一定額以上の御祈祷料を納めると、本殿での祈祷に加えて精進料理の接待を受けることができます。
御祈祷では「金剛般若経」や真言などを、豊川稲荷独自の太鼓のリズムに合わせて読誦します。さらに高額の御祈祷料を納めた場合には、内陣での特別参拝も可能です。遠方の方には通信祈祷も対応しています。
豊川稲荷(妙厳寺)は、単なる観光地ではなく、古くから人々の信仰を集め、歴史の中で生き続けてきた霊験あらたかな聖地です。その神秘的な伝承や、民間信仰、さらには稲荷寿司などの文化的な魅力が融合したこの場所は、訪れる人々の心を和ませ、願いを込めるにふさわしい地といえるでしょう。