大橋屋は、愛知県豊川市赤坂町にあった歴史的な旅籠です。江戸時代の東海道五十三次の36番目の宿場である赤坂宿に位置し、江戸中期に創業して以来、約366年もの間、旅人を迎え続けてきました。その長い歴史のなかで、江戸時代の建物のまま現役で営業を続けた唯一の旅籠として知られており、2015年(平成27年)3月15日まで営業していました。
大橋屋は、江戸の宿場町の風情を色濃く残す貴重な建築物であり、歌川広重が描いた浮世絵『東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図』のモデルにもなったといわれています。松尾芭蕉もこの宿に宿泊し、俳句を詠んだと伝えられるなど、文学や芸術とも深い関わりを持つ名所です。
館内には、創業時から中身を誰も見たことがないとされる米俵が天井の柱に納められています。また、2階へと続く階段は手すりのない黒光りする急な階段で、江戸時代の建築様式がそのまま残されていました。旅籠としては間口9間(約16メートル)、奥行23間(約42メートル)という大規模な建物で、大旅籠に分類されていました。
2015年3月15日、大橋屋はついに旅館としての営業を終了し、同年9月に豊川市へ寄贈されました。以降は文化財として保全され、2016年5月より指定された日に限り一般公開が行われています。豊川市では今後、耐震補強などを含む保存整備を計画中です。
赤坂宿(あかさかしゅく)は、東海道五十三次の36番目の宿場町で、現在の愛知県豊川市赤坂町に位置していました。御油宿や吉田宿とともに、多くの飯盛女を抱えた活気あふれる宿場であり、「御油や赤坂、吉田がなけりゃ、なんのよしみで江戸通い」とまで詠まれたほどでした。
しかし、明治時代に入ると、東海道本線のルートが赤坂を経由せず蒲郡を通ることになり、赤坂宿の繁栄は次第に失われていきました。当時、鉄道忌避があったとする俗説もありますが、実際には地形上の理由でルート選定されたことが分かっています。蒲郡経由では10‰の勾配で済んだのに対し、赤坂経由では16‰の急勾配を避けられなかったためです。
後に名鉄名古屋本線が開通し、名電赤坂駅が設置されましたが、優等列車が停車しない駅であったため、宿場町としてのかつての賑わいを取り戻すことはありませんでした。
赤坂宿と隣の御油宿との距離はわずか16町(約1.74km)で、東海道の中でも最も短い距離です。この地理的近さを詠んだ松尾芭蕉の句「夏の月 御油より出でて 赤坂や」は、現在、豊川市赤坂町の関川神社に句碑として残されています。また、御油の松並木も今なお残されており、当時の面影を今に伝えています。
江戸時代には天領を管理するため、天和2年(1682年)に赤坂陣屋が設置されました。明治時代初期には、一時的に三河県の県庁として政体書による府藩県三治制がしかれた歴史もあります。最終的に伊那県に引き継がれ、赤坂陣屋としての役割は終えました。
赤坂宿は、御油宿と藤川宿に挟まれて位置しており、宿場としての重要な中継点となっていました。現在では、赤坂宿公園などとして整備され、歴史的な遺構の保全が進められています。江戸の旅人たちが行き交った道筋を、現代でも辿ることができるのです。
大橋屋へのアクセス方法は以下の通りです:
・東名高速道路「音羽蒲郡IC」より車で約4分。
・名鉄名古屋本線「名電赤坂駅」から徒歩で約10分。
大橋屋は、江戸時代から続く日本の旅文化の象徴として、また宿場町・赤坂宿の歴史を語るうえで欠かすことのできない存在です。現代に残されたその建物は、旅籠文化や東海道の宿場町の風情を感じる貴重な文化遺産であり、一般公開を通じて多くの人々に感動と学びを与え続けています。ぜひ一度、赤坂宿の面影を今に伝える大橋屋を訪れてみてはいかがでしょうか。