高田寺は、愛知県北名古屋市高田寺に位置する天台宗の寺院です。その山号は「医王山」、本尊は薬師如来です。この寺院の正式名称は「こうでんじ」ですが、所在地およびその周辺の地名は「たかだじ」と呼ばれています。高田寺は東海四十九薬師霊場の第二十一番札所に指定されています。
高田寺の創建は奈良時代の720年(養老2年)にさかのぼります。伝説によれば、行基によって開かれ、大同年間(806年~810年)には最澄が訪れ、「高田寺」という寺号を与えたとされています。一時は多くの寺領、塔頭、末寺を有していましたが、現在では室町時代に建てられた薬師堂(本堂)を残すのみです。
また、江戸時代の仏師・円空がこの寺で密法を授かり、後に4体の円空仏が本堂に安置されています。高田寺は、その長い歴史とともに、多くの文化財や仏教美術を後世に伝える貴重な存在となっています。
「尾張一の美建築」と称される本堂は、鎌倉末期または室町初期に建てられたと推定され、檜皮葺屋根が特徴的な優美な建築物です。本尊の薬師如来坐像は、インド風密教尊像を基にしたもので、国の重要文化財に指定されています。この秘仏は50年に一度開帳され、慈愛に満ちた表情が訪れる人々を魅了します。
円空もこの仏像に深く感銘を受け、12万体の仏像を彫ることを生涯の目標としたと伝えられています。
高田寺は数多くの文化財を有し、その中には国指定重要文化財や愛知県指定有形文化財が含まれています。以下では、特に注目すべき文化財について詳しくご紹介します。
高田寺本堂は入母屋造り・檜皮葺きの建物で、その建築年代は不詳とされていますが、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて建立されたものと推定されています。優れた建築様式は、尾州一の美建築とも称されています。
この厨子は一間厨子から成り、扉や組物などに時代の特徴がよく表れています。特に古い縄がらみ野地の手法をそのまま残しており、非常に貴重な資料とされています。
護摩札には、貞享2年(1685年)および享保12年(1727年)初頭に修理が行われた記録が残されています。これらの記録は、当時の修理技術や寺院の歴史を知る上で重要な資料です。
薬師如来坐像は厚手の衣が流れ動く表現が特徴的で、現在では漆箔が施されています。当初は素木像だったと考えられ、近年の調査では鎌倉時代よりもさらに古い時代に遡る可能性が指摘されています。
木造大黒天立像は寄木造りの小像で、頭巾をかぶり、俵を踏む伝統的な姿をしています。銘文には「嘉吉四年(1444年)」の年号が記されており、室町時代の作とされています。
十二神将像は痩身ながらも豊かな表情を持ち、鎌倉時代の適度な写実性からさらに進んだ室町時代の特徴が見られます。鎧や衣装の彫刻も精巧で、当時の技術の高さがうかがえます。
木造狛犬は阿形(開口)と吽形(閉口)の一対からなり、直立姿勢を持つ独特なポーズが特徴です。この姿勢は室町時代頃から瀬戸地方を中心に作られた陶磁製狛犬を模したものであり、木彫での再現は非常に珍しく貴重です。
奈良時代創建当時の仏とされる薬師如来座像は、漆箔および古色で装飾され、像高は五尺二寸です。東方浄瑠璃世界の教主である薬師如来は、除病延命の功徳があるとされています。
高田寺の隣には白山社という神社があり、これは神仏習合の名残とされています。このように寺と神社が隣接している例は非常に珍しく、日本の宗教文化の融合の歴史を感じさせます。
高田寺には、以下のような貴重な寺宝が数多く遺されています。
また、平安時代の書家・小野道風による奉納品「医王山」の額も現存しています。
高田寺には、「底なしびしゃく」という伝統的な奉納習慣があります。元正天皇が眼病を克服した際に薬函を授かった故事にちなみ、眼病平癒の祈願が行われてきました。病が癒えた人々がひしゃくの底を抜いて奉納することで、感謝と祈願の意味を込めています。
高さ330cmのこの塔は、元禄6年(1693年)に建立されました。刻まれた銘文には、「尾州春日井郡高田寺當住覚道師建立」と記されています。
昭和45年に新築された観品殿では、本尊として聖観音菩薩を祀り、先祖供養の法要が行われています。
高田寺は、1300年の歴史を持つ貴重な寺院であり、その文化財や建築、神仏習合の歴史は訪れる人々に深い感動を与えます。現代の住宅街の中に悠然とたたずむその姿は、時代を超えて日本の伝統と精神を語り継いでいます。