宮後八幡社は、愛知県江南市宮後町に鎮座する歴史ある神社です。その由緒は鎌倉時代から続き、桃山時代の建築様式を現在に伝える貴重な文化財を有しています。境内には宮後城の塁壁も残されており、地域の歴史と文化を物語っています。
宮後八幡社は、応永年間(1394年~1428年)に尾張守護土岐氏の家臣であった安井弥兵衛が宮後城を築城し、その鎮護の神として創建したと伝わります。天正15年(1587年)に勧進され、その後も多くの改修を経て現在に至っています。
1624年(寛永元年)、阿波徳島の大名である蜂須賀家政が幼少期に住んだこの地への愛着から、本殿・釣殿・拝殿を再建しました。棟札には「奉建立八幡宮御本社並釣殿拝殿共ニ大旦那ハチスカノ庵様、寛永元年9月28日」と記されています。この再建により、現在の八幡社は桃山時代の建築様式を残す貴重な遺構となっています。
1958年(昭和33年)、宮後八幡社の本殿は愛知県指定文化財に指定されました。
本殿は一間社流造で、屋根は桧皮葺(ひわだぶき)、軒は二軒繁垂木(ふたのきしげだるき)という特徴を持っています。細部の意匠も過飾に陥ることなく整然としており、近世初期の社殿建築として高く評価されています。
本殿には、正面上部の菊花の彫刻や梁の飾り板の彫刻に桃山時代の様式が色濃く残っています。これらは尾北地域における神社建築の重要な特徴であり、歴史的にも文化的にも価値が高いものです。
宮後八幡社の境内には、かつて存在した宮後城の塁壁が残されています。この遺構は、戦国時代の防衛拠点としての役割を果たした宮後城の歴史を今に伝えるものです。地域の戦国史に触れる貴重な場所として、多くの歴史愛好者や観光客が訪れています。
蜂須賀家政は、幼少の頃父・蜂須賀正勝(小六)とともに宮後に住んでいました。その後、父とともに豊臣秀吉に仕え、多くの戦場で活躍し、四国徳島24万石の大名に昇進しました。
隠居した家政は、孫の忠英の後見人として政治に携わりながらも、故郷である宮後への想いを忘れることはありませんでした。寛永元年、69歳の家政は八幡社の本殿、釣殿、拝殿を造営寄進し、その遺産を後世に残しました。
360年以上の歴史を持つ本殿は、当時の建築技術や美的感覚を今に伝える貴重な遺構です。その精巧な彫刻や流れるような屋根の造りは、訪れる人々に深い感銘を与えます。
境内に残る宮後城の塁壁は、戦国時代の名残を感じさせる重要な遺跡です。塁壁の見学を通じて、当時の防衛施設や戦略の一端を知ることができます。
宮後八幡社は、歴史的価値の高い建築と宮後城の遺構を有する神社として、多くの観光客や歴史愛好者に愛されています。尾北地域の歴史に触れる機会として、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。