安祥城は、三河国碧海郡安城(現在の愛知県安城市安城町)にあった日本の城です。城跡は現在、安祥城址公園として整備され、安城市指定史跡となっています。また、跡地には安城市歴史博物館や安城市民ギャラリーなどが建てられ、歴史を学ぶ場としても親しまれています。
安祥城は、室町時代から戦国時代にかけて松平氏、織田氏、今川氏の間で激しい攻防戦が繰り広げられた城です。舌状台地の先端に築かれた平山城で、天守は持たず、土塁や堀を備えた城郭でした。
安祥城は、永享12年(1440年)に和田親平(畠山氏の一族)によって築かれたとされています。当初は居館でしたが、その後、松平氏(後の徳川家)が拠点としました。
文明11年(1479年)の安祥城攻めの際に、松平信光が酒井親清に三葵の葉の家紋を与えたという記録が残っています。この家紋は後に松平氏(徳川家)の象徴となりました。
松平氏の拠点であった安祥城は、天文9年(1540年)に織田信秀によって攻め落とされます(第一次安城合戦)。その後も織田氏と松平氏の間で何度も攻防戦が繰り広げられました。
天文16年(1547年)、松平広忠は織田氏に対抗するために今川義元に助けを求めます。この際、今川氏は松平氏の忠誠の証として、松平広忠の子・竹千代(後の徳川家康)を人質として駿府へ送るよう要求しました。しかし、竹千代は途中で織田氏に奪われるという運命をたどります。
天文18年(1549年)、今川義元は約1万の軍勢を率いて安祥城を攻め、最終的に織田氏を駆逐し、城を奪還しました。この戦いを最後に安祥城は今川氏の支配下に入り、その後、永禄5年(1562年)頃に廃城となりました。
現在、安祥城跡は安祥城址公園として整備され、石碑や塚、堀の一部が残されています。1988年(昭和63年)から発掘調査が行われ、本丸跡の地下にも戦国時代の遺構が確認されました。
安祥城は、戦国時代の重要な舞台となった歴史ある城跡です。現在は公園として整備され、周辺には歴史博物館や神社が点在し、散策しながら歴史を学ぶことができます。歴史好きの方はもちろん、戦国時代の舞台を実際に歩いてみたい方にもおすすめのスポットです。