碧南市藤井達吉現代美術館は、愛知県碧南市にある公立の美術館です。2008年(平成20年)4月5日に開館し、碧南市出身の工芸家・藤井達吉の功績を称えるために設立されました。旧碧南商工会議所の建物を改修して整備され、地域の芸術文化の発展を支える施設となっています。
2001年(平成13年)、碧南市は、移転新築することになった碧南商工会議所の旧建物を、郷土資料を展示する市民ギャラリーとして整備する計画を立てました。しかし、2003年(平成15年)に市はこの施設を「美術館的な施設」として整備する方向へ変更しました。
2004年(平成16年)、国土交通省が「まちづくり交付金」制度を導入し、市の計画がその対象となったことから、本格的な整備が進められました。最終的に、2008年4月5日に「碧南市藤井達吉現代美術館」として正式に開館しました。
館内には、藤井達吉の作品が常設展示されており、彼の多様な創作活動を間近で鑑賞することができます。工芸作品から絵画、図案まで、幅広いジャンルの作品が並び、藤井の独創性や芸術的探求心を感じることができます。
美術館では、藤井達吉に関連する展示だけでなく、現代美術や工芸を中心とした企画展・特別展も定期的に開催されています。これにより、地域の芸術文化の発展にも貢献しています。
美術館では、子どもから大人まで楽しめるワークショップや講演会などの教育プログラムが充実しています。これらのイベントを通じて、来館者が芸術をより身近に感じる機会を提供しています。
藤井達吉(ふじい たつきち、1881年6月6日 - 1964年8月27日)は、愛知県碧海郡棚尾村(現・碧南市源氏町)に生まれました。幼い頃から手先が器用で、「針吉」や「凧吉」と呼ばれるほどでした。
藤井は11歳で棚尾小学校を卒業し、知多郡大野町の木綿問屋に奉公に出ました。その後、朝鮮や台湾に渡り、商業の世界で経験を積みました。しかし、美術への関心が高まり、名古屋の服部七宝店で働きながら美術の道を志すようになりました。
1904年(明治37年)、藤井はアメリカのポートランド万国博覧会に七宝作品を出品しました。その後、ボストン美術館で西洋・東洋の美術作品を鑑賞し、芸術的視野を広げました。帰国後は服部七宝店を辞め、本格的に美術工芸の道を歩み始めました。
1910年(明治43年)頃には東京に移り、前衛的な芸術団体に参加。七宝焼、日本画、陶芸、金工、竹工、漆工、染色など、多様な工芸技術を駆使し、新たな作風を確立しました。また、工芸品の大衆化にも力を入れ、当時の工芸界に大きな影響を与えました。
1929年(昭和4年)、帝国美術学校(現・武蔵野美術大学)の教授に就任。学生たちに工芸の技術と精神を伝えました。その後も、雑誌や書籍を通じて手芸や工芸の普及活動を行い、多くの人々に影響を与えました。
戦争の影響で、1945年(昭和20年)には愛知県小原村に疎開し、小原和紙工芸を発展させました。1950年(昭和25年)には碧南市に戻り、その後も日本各地を転々としながら創作活動を続けました。1964年(昭和39年)、岡崎市で死去しました。
1991年(平成3年)、愛知県美術館で「藤井達吉の芸術 生活空間に美を求めて」展が開催され、彼の先駆的な作品が改めて評価されました。その後、2008年には碧南市藤井達吉現代美術館が開館し、彼の功績が広く知られるようになりました。
藤井達吉の創作活動は、日本の工芸・デザインの分野に多大な影響を与えました。特に和紙工芸の分野では、新しい可能性を切り開き、多くの工芸作家に影響を与え続けています。
碧南市藤井達吉現代美術館は、藤井達吉の芸術を広めるだけでなく、現代美術の発展にも寄与する貴重な施設です。藤井達吉の作品を通じて、日本の工芸の奥深さや芸術の魅力を感じることができる美術館として、これからも多くの人々に親しまれていくことでしょう。