長圓寺は、愛知県西尾市にある由緒ある寺院で、江戸時代初期に活躍した名奉行・板倉勝重とその一族である板倉家の菩提寺として知られています。静かな山麓にたたずむ禅宗の寺院であり、特にお盆の「かぎ万灯」や春の桜の季節には多くの人々が訪れる名所です。
長圓寺の前身は、現在の岡崎市中島町にあった永安寺です。慶長8年(1603年)に、板倉勝重によって再建され、「中島山長圓寺」と改称されました。その後、寛永7年(1630年)、勝重の長男である板倉重宗が父の七回忌に際し、現在の地に寺院を移転しました。
板倉勝重は安土桃山時代から江戸時代前期にかけて活躍した人物で、徳川家康に仕え、江戸町奉行や京都所司代などの要職を歴任しました。特に京都所司代としては、朝廷との交渉や豊臣家の監視、京の治安維持など、多岐にわたる役割を果たしました。
民からは「名奉行」として親しまれ、本阿弥光悦や石川丈山、松花堂昭乗といった京の文化人とも交流を持ち、文化の保護者としての側面も持ち合わせていました。
寛永7年(1630年)に建立された山門は、歴史的な趣を感じさせる佇まいで、市の文化財にも指定されています。
板倉勝重の霊廟である肖影堂は、重宗によって父のために建てられたものです。堂内には石川丈山が筆をとった扁額が掲げられており、建築と書の両面から文化的価値を持っています。
文化13年(1816年)には、永平寺の大工棟梁によって再建された荘厳な本堂があり、静寂の中に歴史を感じさせます。また、本阿弥光悦の筆による銘のある手水鉢も残されており、訪れる人々の目を引きます。
境内には、板倉家6家の代々の当主やその夫人の墓塔が立ち並ぶ墓所があり、歴史と家族の絆が感じられる静かな場所となっています。
これらの文化財の多くは一般には非公開ですが、長圓寺が文化の継承に力を注いできたことがうかがえます。
長圓寺は、三河七福神の霊場のひとつとしても知られており、特に布袋尊(子安布袋尊)を祀っています。そのため、安産祈願や子授けを願う多くの参拝者が訪れる信仰の場でもあります。
天文14年(1545年)、板倉好重の次男として三河国額田郡小美村に生まれた勝重は、幼少期に出家して浄土真宗の僧・香誉宗哲となりました。しかし、父と兄の戦死を受けて、徳川家康の命により還俗し、武士としての人生を歩むこととなります。
勝重は、家康が浜松から駿府へ移る際には駿府町奉行、関東移封後には江戸町奉行などを務めました。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後には加増され、翌年に京都所司代に任じられます。
彼は朝廷や豊臣家との関係を巧みに調整し、京の安定と幕府の統治強化に貢献しました。また、文化面でも優れた見識を発揮し、多くの文化人との交流を通じて、芸術や書に対しても深い理解を示しました。
その公正な裁きぶりは庶民からも尊敬され、「敗訴した者すら納得する」と称されるほどの人物でした。名奉行としての名声は後世にも語り継がれ、徳川政権下における理想的な行政官の一人とされました。
長圓寺は、ただの寺院にとどまらず、板倉勝重という歴史的人物の足跡を今に伝える貴重な場でもあります。静謐な境内と歴史的価値をもつ建造物、文化財の数々は、訪れる人々に深い感動と学びを与えてくれることでしょう。西尾市を訪れる際には、ぜひ立ち寄っていただきたい歴史的名刹です。