称名寺は、愛知県碧南市にある時宗の寺院です。徳川家康の幼名「竹千代」を命名したことで知られ、歴史的にも重要な役割を果たしました。本記事では、称名寺の歴史や文化財、大浜てらまちの関連寺院について詳しくご紹介します。
称名寺の山号は「東照山」。大浜てらまちと呼ばれる歴史ある地域に位置しています。大浜てらまちは、碧南市の築山町、浜寺町、本江町、音羽町などを含む地域で、複数の寺院が集まって形成された街並みです。
称名寺は、暦応2年(1339年)に創建されました。15世紀前半には、松平親氏が父の得川有親とともに訪れ、有親はこの寺で亡くなったと伝えられています。その後、松平信忠(徳川家康の曽祖父)が寺領を寄進し、享禄4年(1531年)にこの寺で亡くなりました。
天文12年(1543年)、松平広忠(家康の父)が称名寺で行われた連歌会で「めくりはひろき園のちよ竹」と詠み、その際の住職が家康の幼名を「竹千代」にするよう勧めました。永禄2年(1559年)、家康によって寺領が返還され、慶安元年(1648年)には、徳川家光より朱印地32石8斗が与えられました。
愛知県碧南市築山町2-66
名鉄三河線「碧南駅」から徒歩約10分
大浜てらまち(おおはまてらまち)は、碧南市大浜地区にある寺院群で、歴史的な街並みを形成しています。中世以降に発展し、江戸時代には大浜湊の繁栄とともに確立されました。
大浜てらまちは、中世の三河碧海郡大浜において、大浜道場(後の称名寺)が重要な存在となり、その後多くの寺院が集まりました。江戸時代には、大浜湊が江戸廻船の基地として発展し、宗教文化も栄えました。
また、1889年(明治22年)と1895年(明治28年)には、文人画家・富岡鉄斎が林泉寺に滞在し、『鉄斎翁華慶山図』などを描きました。宗教家の清沢満之は1888年(明治21年)から西方寺で副住職を務め、大浜には清沢満之記念館が残されています。
碧南市浜寺町2丁目19番地。真宗大谷派の寺院で、仁治元年(1240年)頃に創建。かつては天台宗の光照寺と呼ばれていました。
碧南市築山町1丁目21番地。浄土宗鎮西派の寺院で、建武元年(1334年)に創建。かつては真言宗であったとされ、前田利家の先祖の墓があると伝えられています。
碧南市築山町2丁目66番地。時宗の寺院で、暦応2年(1339年)に創建されました。かつては「大浜道場」と呼ばれていました。
碧南市本郷町3丁目8番地。曹洞宗の寺院で、長禄元年(1457年)に創建。かつては天台宗の寺院でした。
碧南市音羽町1丁目60番地。浄土宗西山深草派の寺院で、寛正3年(1462年)に創建。三河新四国八十八ヶ所霊場の札所でもあります。
碧南市築山町1丁目53番地。真宗大谷派の寺院で、文亀元年(1501年)に創建。かつては天台宗の専光寺と呼ばれていました。
碧南市本郷町3丁目38番地。浄土宗鎮西派の寺院で、大永6年(1526年)に創建。岡崎の大樹寺住職である貞頓が開基しました。
碧南市音羽町1丁目48番地。曹洞宗の寺院で、天文12年(1543年)に創建。「永井直勝生誕地」の碑があります。
称名寺は、徳川家康の幼名「竹千代」の命名に関わる由緒ある寺院であり、歴史的にも文化財的にも価値が高い寺です。周囲の大浜てらまちには、多くの歴史ある寺院が集まり、宗教と文化が息づく地域として現在も大切にされています。訪れる際は、歴史の深みを感じながら散策してみてはいかがでしょうか。