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紅樹院

(こうじゅいん)

西尾茶の原点と茶祖を祀る寺院

紅樹院は、愛知県西尾市上町浜屋敷83に位置する浄土宗の寺院であり、「茶祖の寺」として広く知られています。境内には西尾茶の発祥ともいえる「西尾茶の原樹」があり、毎年12月には「茶祖奉告祭」が行われ、茶祖である足立順道上人に茶の出来栄えが報告されます。

紅樹院の成り立ちと歴史

創建と宗派の変遷

紅樹院はもともと天台宗の寺院として創建されましたが、大永年間(1521年~1528年)に徳川家康の伯母であり、彼の乳母の大叔母にあたる「隨念院殿桂室泰栄大姉(於久の方)」を弔うために浄土宗へと転宗されたと伝えられています。

茶産業との関わりの始まり

明治5年(1872年)、紅樹院第34世住職となった足立順道(あだち じゅんどう)は、京都・宇治の地から茶の種を持ち帰り、荒廃していた紅樹院の境内を自らの手で開墾し茶園を築きました。この行動が、西尾に茶産業をもたらす大きな転機となったのです。

知多郡から茶師を招き製茶を開始

明治12年(1879年)には知多郡から茶師を招き、紅樹院で茶の製造を始めました。これにより西尾一帯に茶栽培と茶業が広まり、現在では西尾市は日本を代表する抹茶の産地のひとつとなっています。

紅樹院の境内と史跡

西尾茶の原樹

茶産業の礎を築いた茶樹、すなわち「西尾茶の原樹」は紅樹院の象徴です。2004年(平成16年)10月30日には、その原樹を本堂前へ移植する記念式が開催されました。この移植は足立順道上人の顕彰とともに、原樹を将来にわたって守るためのものであり、「全国茶サミット」や「全国お茶まつり」の事前イベントの一環として実施されました。

頌徳碑と奉告祭

紅樹院の参道入口には、1913年(大正2年)に建てられた足立順道の頌徳碑が建立されており、現在も訪れる人々に彼の偉業を伝えています。さらに、毎年12月には茶祖奉告祭が開催され、順道の功績を讃え、献茶とともにその年の茶の成果が報告されます。

足立順道 ― 西尾茶を築いた先見の僧

人物と生涯

出生と僧としての歩み

足立順道は、1840年(天保11年)5月15日に尾張国中島郡戸塚村(現在の愛知県一宮市)に生まれました。父は足立松左衛門、弟に足立勘左衛門がいます。名古屋の円輪寺で出家後、知多郡大野の洞泉寺に入寺し、1872年に三河国幡豆郡西尾町の紅樹院第34世住職に就任しました。

寺の復興と茶の導入

住職就任当時の紅樹院は荒廃し、負債も抱えていた状態でしたが、順道は檀家からの寄付を募り、本堂の修繕に加え、玄関や庫裏、三十三観音堂、外門、土蔵、書院などの再建を進めました。そして、自らが赴いた京都・宇治と西尾の気候が似ていることに注目し、宇治から茶の種と製茶技術を持ち帰りました。

初めての茶摘みと多角的な農業

順道は紅樹院境内の北東の畑に茶の種を播き、約8年後の1880年(明治13年)に初めての茶摘みが行われました。開墾した茶畑は約40アールに及び、その後はミカンや桐の栽培にも取り組むなど、殖産興業の精神に富んだ僧侶でもありました。

晩年とその後の評価

1887年(明治20年)8月20日、足立順道は47歳でその生涯を閉じました。その功績は大きく、後世においても彼の遺志は受け継がれています。2004年には「全国お茶サミット」の開催に合わせ、彼の茶業の始まりを記念する西尾茶の原樹が再び境内に植えられました。

後世への影響と現在

頌徳碑の建立

1913年(大正2年)には紅樹院の参道入口に順道の頌徳碑が建立され、その功績が形として残されました。これは、紅樹院だけでなく西尾全体の茶産業に与えた影響の大きさを物語るものです。

奉告祭の開催と精神の継承

順道の業績は、毎年12月に行われる「茶祖奉告祭」で継承されています。この祭りでは、茶祖としての順道に感謝の意を表すとともに、その年の茶の成果を報告する儀式が執り行われ、茶に関わる人々の心を一つにしています。

おわりに ― 紅樹院と足立順道の功績

紅樹院は、ただの寺院ではなく、西尾茶という地域産業の原点となった場所であり、足立順道という先見の僧侶の努力が実を結んだ場所でもあります。彼の精神は今も紅樹院の境内に息づいており、訪れる人々に西尾茶の歴史と文化の深さを語りかけてくれます。

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紅樹院
(こうじゅいん)

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