愛知県西尾市に鎮座する久麻久神社は、きわめて長い歴史を有する由緒正しい神社であり、西尾地域の成り立ちや信仰文化を語るうえで欠かすことのできない存在です。旧社格は郷社に列せられ、延喜式内社としても知られています。境内は八ツ面町麓と熊味町にまたがり、なかでも八ツ面町に建つ本殿は、国の重要文化財に指定されている貴重な建造物です。
自然豊かな八ツ面山の中腹に鎮座する久麻久神社は、歴史、建築、信仰、自然が一体となった魅力を備えた観光・文化スポットとして、多くの参拝者や歴史愛好家を惹きつけています。
久麻久神社の社地は、西尾市八ツ面町麓および熊味町に広がっています。神社が鎮座する八ツ面山(やつおもてやま)は、古くは「きらら山(雲母山)」と呼ばれた山で、この地域が雲母(きらら)の産地であったことに由来します。この「きらら」という言葉は、中世の地名である吉良庄(きらのしょう)、さらには現在の吉良町の名称の由来になったとも伝えられています。
このように、久麻久神社は単なる信仰の場にとどまらず、地域名の起源にも深く関わる重要な場所なのです。
久麻久神社にお祀りされている御祭神は、次の三柱です。
・大雀命(おおさざきのみこと)
・須佐之男命(すさのおのみこと)
・熱田大神(あつたのおおかみ)
いずれも日本神話や古代史において重要な神々であり、国家鎮護、厄除け、疫病退散、開拓守護など、幅広いご神徳があるとされています。
久麻久神社の創建はきわめて古く、祟神天皇の御代にまで遡ると伝えられています。伝承によれば、久麻久連(くまくのむらじ)と呼ばれる一族が、京都の丹後半島・与謝の国からこの地に移り住み、土地を開拓した際、その産土神として祀ったのが久麻久神社の始まりとされています。
その後、大宝年間(701~704年)には、旧大宝村より須佐之男命を新たに勧請し、社名も「大宝天王宮」と呼ばれるようになったといわれています。須佐之男命は、疫病除けや災厄除去の神として広く信仰されており、当時の人々の切実な願いがうかがえます。
久麻久神社は、延長5年(927年)に成立した『延喜式』神名帳にその名が記された延喜式内社です。これは、平安時代の朝廷から公式に認められた由緒ある神社であることを意味し、当社が古くから地域の中心的な神社として信仰されてきた証といえるでしょう。
戦国時代には、八ツ面城主であった荒川甲斐守義弘が久麻久神社を篤く信仰し、「荒川大宝天王宮」とも呼ばれるようになりました。荒川氏の庇護のもとで神社は守られ、地域の精神的支柱としての役割を果たしていました。
さらに、江戸時代初期には徳川家康が西尾往還を通る際に参拝したと伝えられており、時代を超えて多くの人々の信仰を集めてきたことがわかります。
久麻久神社の最大の見どころのひとつが、八ツ面町側に建つ本殿です。本殿は一重入母屋造、三間向拝付という格式高い建築様式を採用しており、大永7年(1527年)に造立されたことが明確にわかっている点でも、学術的に非常に貴重です。
屋根は桧皮葺で、全体の姿は端正かつ優美。蟇股(かえるまた)や手挟(たばさみ)など、軒周りの細部彫刻も美しく、県内でも類例の少ない社殿として高く評価されています。そのため、本殿は国の重要文化財に指定されています。
拝殿の脇には、ひときわ目を引く椎の木が立っています。この椎の木は、二本の幹が寄り添うように成長した連理の枝を持つ古木で、男女の縁や夫婦円満、良縁成就の象徴として親しまれています。
この椎の木は「久麻久神社の椎の木群」として西尾市の指定文化財となっており、参拝者が静かに手を合わせる姿も多く見られます。
久麻久神社は、社殿だけでなく、多くの貴重な文化財を所蔵していることでも知られています。
・牛頭天王神像(平安時代・県指定重要文化財)
・陶製狛犬(室町時代・県指定重要文化財)
これらはいずれも非常に価値の高い文化財ですが、現在は非公開となっており、保存と継承が大切に行われています。こうした文化財の存在からも、久麻久神社が長い年月にわたり、地域信仰の中心であったことがうかがえます。
久麻久神社は、歴史的価値の高い社殿や文化財に加え、八ツ面山の自然に囲まれた静かな環境も大きな魅力です。春には新緑、秋には紅葉が美しく、季節ごとに異なる表情を楽しむことができます。
西尾市を訪れる際には、ぜひ久麻久神社に足を運び、古代から続く信仰の歴史と、国指定重要文化財の社殿が醸し出す厳かな雰囲気を体感してみてはいかがでしょうか。久麻久神社は、観光としても、心を落ち着かせる参拝の場としても、訪れる価値の高い神社です。