専修坊は、愛知県高浜市本郷町にある真宗大谷派の寺院です。山号は「高取山」、本尊は阿弥陀如来を祀り、地域の信仰の中心として長い歴史を誇ります。
専修坊の起源は貞観元年(859年)にさかのぼります。星川九曜太郎光信(智叡)が天台宗の学僧・円珍(智証大師)に師事し、三河国に「古取山聖徳院専修寺」を建立しました。
その後、文暦2年(1235年)、15世住職・願祐の時代に親鸞聖人が三河国を訪れ、専修寺は浄土真宗に改宗し「一向院専修寺」と改名しました。これにより、専修坊は浄土真宗の寺院としての歩みを始めます。
永享10年(1438年)、22世住職・星川渓玉は、蓮如上人の弟子となります。寛正6年(1465年)に延暦寺の衆徒による大谷本願寺破却の際にも、蓮如上人に忠誠を尽くしました。
応仁2年(1468年)、蓮如上人が三河国を巡化する際、専修坊を訪れました。このとき、蓮如上人が渓玉のことを「専修寺の坊主」と呼んだことが、「専修坊」の寺名の由来になったと伝えられています。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いの際、徳川家康は今川方の兵糧入れを成功させましたが、今川義元の敗北により撤退を余儀なくされました。専修坊には、このとき家康が一時立ち寄り、休息をとったという伝承が残されています。
また、寛政元年(1789年)頃には、33世住職・祐聞の時代に「高取山」の山号を名乗るようになりました。
天保13年(1841年)、現在の本堂が建立されました。この本堂は、尾張国の名工・伊藤平左衛門によって建築されたもので、愛知県内でも最大級の規模を誇る真宗寺院の本堂とされています。
明治4年(1871年)、三河護法会の会長であった星川法沢が中心となり、大浜騒動(鷲塚騒動)が発生しました。法沢は騒動の責任を問われ、同年12月に禁固刑を受け、1873年(明治6年)に名古屋の無三殿刑務所で獄死しました。
1870年(明治3年)、高取村に初めて学校が設置された際、専修坊の一部を借用して授業が行われました。その後、1872年(明治5年)には正式に「愛知県碧海郡第七中学第五十番小学校」が開校し、専修坊は地域の教育にも貢献しました。
昭和20年(1945年)1月13日に発生した三河地震では、高浜町大字高取で多数の死者が出ました。専修坊の山門や書院も倒壊し、大きな被害を受けました。その後、1957年(昭和32年)時点で約900戸の檀家を擁し、復興を遂げました。
専修坊には貴重な文化財が多く残されており、市の指定文化財にも登録されています。
〒444-1311 愛知県高浜市本郷町6丁目10番地3
専修坊は、浄土真宗の歴史を伝える貴重な寺院であり、歴代の住職が蓮如上人や徳川家康と関わるなど、歴史的な価値も高い場所です。また、春のしだれ桜をはじめとする美しい自然も楽しめるため、歴史と景観の両方を堪能できる名所です。